私は、最近になって次のような考えにとりつかれております。
神や霊魂や気(オーラ)などは、実は物理的な事象としてすべて説明できてしまうのではないかしら。(もしくは数学理論、最新の脳科学、心理学)
今まで、宗教で説明されてきたような事柄を、宗教の教えのようなことを全く使わないで、物理の法則(量子論を含む)とか数学の理論など(脳科学、心理学)だけを使って、割と簡単に説明できるのではないかしら。(数学の理論としてフラクタル理論を想定しています。)
神さまというのは、「宇宙の法則」もしくは、「宇宙空間に存在する情報系」であると仮定すれば、いろんな宗教で言われていることを、それらの宗教の教えと必ずしもあまり矛盾しないような説明の仕方ですることが理解できるのではないかしら。
「愛は地球を救う」 というのは、「本音と建前」でいうところの建前とか、「そうだったらいいねえ というような夢」 とか 「甘い期待」 とか「努力目標」とか「こうあるべきだというスローガン」ではなくて、普通にそうなのではないか ということです。つまり愛が地球を普通に救うんじゃないか ということです。
宇宙は愛で満たされており、すべての人は神さまそのものなのです。もしそうじゃないように見えるとしたら、自分が神であることを知らない人がいるせいだけではないだろうか。もしくは、自分が神であることを、日常生活のささいな出来事に集中しすぎて忘れているだけ。
すべての人(動物も含む)は神様であり、愛あふれる存在なんだけど、あまりにもそれが当たり前(当然)のことすぎて、誰もそれを、いちいち口に出して言わない。口に出して言わないので、いつの間にか、うっかりと忘れてしまっている。
うっかり忘れてしまうと困る場合もあるので、宗教の中で「神」とか「愛」の説明を聞いて時々思い出すようにはしています。
仕事が忙しすぎて、ときどき、宗教の説明を思いだしている暇も、ない時があります。そこで、誰かがわざわざ「愛って大切なのさ」とリマインダーとして、他の人に思い出させてあげる必要があります。
その誰かっているのが、とりあえずは私かしら。もちろん誰でもいいんですよ
人は「愛の法則」とか「力を抜くこと」とか「すべてはひとつである」とかいうことを教われば、割と簡単に努力もしないで、いとも簡単に救われて、幸せになれるんじゃないでしょうか?
幸せになろうとして、一生懸命になればなるほど、そうならないのよ というような法則があるのではないかしら。
幸せになろうと思ったら、一瞬でなれます。「すでに幸せであることに気づけばよい」からです。または「幸せであることを忘れていたことに気づけばよい」からです。
ただし、「幸せであることを知らないふり」をする人はいます。そういう人を「うぶなふりをするぶりっこ かまととぶってる人 ぶりぶりぶりっこ かわいこぶりっこ」とか「知らないことにしておいたほうが得をするという損得感情のもとに、とぼけたり、しらばっくれたりする 老獪なたぬきオヤジ」と呼ばせていただくことといたしましょう。
実は、私も実は、たぬきおやじ のひとりなのです。たぬき はムジナともいいます。「同じ穴のムジナ」 みたいな人は時々みかけます。私と同類、仲間、友達なのです。だから喧嘩しないで仲良くしましょうね。
たとえば、次のような説明をさせて頂きます。
キリスト教(ユダヤ教、イスラム教)は唯一の神を信じる一神教であり、それに対して日本人は、八百万(やおよろず)の神を信じる多神教であると言われています。だから正反対?でありお互いに相手を受け入れられないかのような印象を受けます。
でももし、「宇宙の法則」が神様であるとすれば、「宇宙の法則」というたった一つ(唯一)の神様が、宇宙の中のいかなる場所に(あらゆる)場所にまんべんなく(八百万を超える数で)存在するという説明で、十分なんじゃないでしょうか。 どう思いますか?
私はいいかげんでちゃらんぽらんで間抜けであほです。声が小さく、アソコも小さく、気が小さく、まったく自信がありません。自分の言ってる(書いてる)ことにも自信がありません。
ここに書いてあることは、あまりうのみにしないほうがよいと思います。もしそうされるのであれば「自己せきにん」にてお願いいたします。
もしくは
「よい子はまねしないでね」
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