はひふへほ火、太陽、日、あたたかさ、火加減に関係があるのではないだろうか? 初 始め 春 火 日 光 吹き出す(火山が) 増える へる ふいご(火加減 ) ほのぼの ほっとする ほのか ほたる ぼっと燃える ぼうぼう燃える燃えるものが残っている場合は、いったん火がつくと、ほおっておいても大丈夫。燃え続ける 。
火が燃えるには、酸素が必要なので、適度な風が吹いてるとよい。 火加減は、「ふいご」などで風を送る量で調節
風 は音読みで フゥ
台風は英語で タイフーン
パソコンなどの部品であるファンも温度調整する役割
火を消そうとする時は、吹き消す(Fukikesu)、または、踏み消す(Fumikesu)。
昔の人は、光が速いことを知っていたんじゃないんだろうか?
。早い。 と 速い。 日本語では、同じ音だし、英語でも first fast は意味がにている
速い つまり 短い時間で 遠くへ行ける。 はるか 遠く はなれている ひろい(ひろい) ふるい。 (時間的に遠い) へる (時を経る) 放り投げる
いろんな宗教が太陽神を崇拝しているけど、太陽は日であり火であり光である。宗教でいうところの愛とか慈悲って太陽からのお恵(おめぐみ)、恩恵のことなんじゃないだろうか
2019年6月6日木曜日
はひふへほ
2019年5月29日水曜日
Fire First ひとつ 火の光
世界は ひとつ
日本語でも、 火 日 光 ひとつ ひとり などと
はじめは、ひとり だけど、増えてふたり になる。
太るという言葉は、ふたり に似ている。
昔から「宇宙はビッグバンから始まった」っていうことを、知っていたんじゃないの
日本語の「は行」は、「はじまる」とか火に関係ある言葉が多いように感じる。「寒い日に火にあたると ほっ とする」とか 英語でも Hot Fire。First もFで始まる
2018年3月28日水曜日
アタックNo.1 鮎原こずえ の性格
2018年3月27日火曜日
神や霊魂や気(オーラ)などを物理的な事象として説明
私は、最近になって次のような考えにとりつかれております。
神や霊魂や気(オーラ)などは、実は物理的な事象としてすべて説明できてしまうのではないかしら。(もしくは数学理論、最新の脳科学、心理学)
今まで、宗教で説明されてきたような事柄を、宗教の教えのようなことを全く使わないで、物理の法則(量子論を含む)とか数学の理論など(脳科学、心理学)だけを使って、割と簡単に説明できるのではないかしら。(数学の理論としてフラクタル理論を想定しています。)
神さまというのは、「宇宙の法則」もしくは、「宇宙空間に存在する情報系」であると仮定すれば、いろんな宗教で言われていることを、それらの宗教の教えと必ずしもあまり矛盾しないような説明の仕方ですることが理解できるのではないかしら。
「愛は地球を救う」 というのは、「本音と建前」でいうところの建前とか、「そうだったらいいねえ というような夢」 とか 「甘い期待」 とか「努力目標」とか「こうあるべきだというスローガン」ではなくて、普通にそうなのではないか ということです。つまり愛が地球を普通に救うんじゃないか ということです。
宇宙は愛で満たされており、すべての人は神さまそのものなのです。もしそうじゃないように見えるとしたら、自分が神であることを知らない人がいるせいだけではないだろうか。もしくは、自分が神であることを、日常生活のささいな出来事に集中しすぎて忘れているだけ。
すべての人(動物も含む)は神様であり、愛あふれる存在なんだけど、あまりにもそれが当たり前(当然)のことすぎて、誰もそれを、いちいち口に出して言わない。口に出して言わないので、いつの間にか、うっかりと忘れてしまっている。
うっかり忘れてしまうと困る場合もあるので、宗教の中で「神」とか「愛」の説明を聞いて時々思い出すようにはしています。
仕事が忙しすぎて、ときどき、宗教の説明を思いだしている暇も、ない時があります。そこで、誰かがわざわざ「愛って大切なのさ」とリマインダーとして、他の人に思い出させてあげる必要があります。
その誰かっているのが、とりあえずは私かしら。もちろん誰でもいいんですよ
人は「愛の法則」とか「力を抜くこと」とか「すべてはひとつである」とかいうことを教われば、割と簡単に努力もしないで、いとも簡単に救われて、幸せになれるんじゃないでしょうか?
幸せになろうとして、一生懸命になればなるほど、そうならないのよ というような法則があるのではないかしら。
幸せになろうと思ったら、一瞬でなれます。「すでに幸せであることに気づけばよい」からです。または「幸せであることを忘れていたことに気づけばよい」からです。
ただし、「幸せであることを知らないふり」をする人はいます。そういう人を「うぶなふりをするぶりっこ かまととぶってる人 ぶりぶりぶりっこ かわいこぶりっこ」とか「知らないことにしておいたほうが得をするという損得感情のもとに、とぼけたり、しらばっくれたりする 老獪なたぬきオヤジ」と呼ばせていただくことといたしましょう。
実は、私も実は、たぬきおやじ のひとりなのです。たぬき はムジナともいいます。「同じ穴のムジナ」 みたいな人は時々みかけます。私と同類、仲間、友達なのです。だから喧嘩しないで仲良くしましょうね。
たとえば、次のような説明をさせて頂きます。
キリスト教(ユダヤ教、イスラム教)は唯一の神を信じる一神教であり、それに対して日本人は、八百万(やおよろず)の神を信じる多神教であると言われています。だから正反対?でありお互いに相手を受け入れられないかのような印象を受けます。
でももし、「宇宙の法則」が神様であるとすれば、「宇宙の法則」というたった一つ(唯一)の神様が、宇宙の中のいかなる場所に(あらゆる)場所にまんべんなく(八百万を超える数で)存在するという説明で、十分なんじゃないでしょうか。 どう思いますか?
私はいいかげんでちゃらんぽらんで間抜けであほです。声が小さく、アソコも小さく、気が小さく、まったく自信がありません。自分の言ってる(書いてる)ことにも自信がありません。
ここに書いてあることは、あまりうのみにしないほうがよいと思います。もしそうされるのであれば「自己せきにん」にてお願いいたします。
もしくは
「よい子はまねしないでね」
神や霊魂や気(オーラ)などは、実は物理的な事象としてすべて説明できてしまうのではないかしら。(もしくは数学理論、最新の脳科学、心理学)
今まで、宗教で説明されてきたような事柄を、宗教の教えのようなことを全く使わないで、物理の法則(量子論を含む)とか数学の理論など(脳科学、心理学)だけを使って、割と簡単に説明できるのではないかしら。(数学の理論としてフラクタル理論を想定しています。)
神さまというのは、「宇宙の法則」もしくは、「宇宙空間に存在する情報系」であると仮定すれば、いろんな宗教で言われていることを、それらの宗教の教えと必ずしもあまり矛盾しないような説明の仕方ですることが理解できるのではないかしら。
「愛は地球を救う」 というのは、「本音と建前」でいうところの建前とか、「そうだったらいいねえ というような夢」 とか 「甘い期待」 とか「努力目標」とか「こうあるべきだというスローガン」ではなくて、普通にそうなのではないか ということです。つまり愛が地球を普通に救うんじゃないか ということです。
宇宙は愛で満たされており、すべての人は神さまそのものなのです。もしそうじゃないように見えるとしたら、自分が神であることを知らない人がいるせいだけではないだろうか。もしくは、自分が神であることを、日常生活のささいな出来事に集中しすぎて忘れているだけ。
すべての人(動物も含む)は神様であり、愛あふれる存在なんだけど、あまりにもそれが当たり前(当然)のことすぎて、誰もそれを、いちいち口に出して言わない。口に出して言わないので、いつの間にか、うっかりと忘れてしまっている。
うっかり忘れてしまうと困る場合もあるので、宗教の中で「神」とか「愛」の説明を聞いて時々思い出すようにはしています。
仕事が忙しすぎて、ときどき、宗教の説明を思いだしている暇も、ない時があります。そこで、誰かがわざわざ「愛って大切なのさ」とリマインダーとして、他の人に思い出させてあげる必要があります。
その誰かっているのが、とりあえずは私かしら。もちろん誰でもいいんですよ
人は「愛の法則」とか「力を抜くこと」とか「すべてはひとつである」とかいうことを教われば、割と簡単に努力もしないで、いとも簡単に救われて、幸せになれるんじゃないでしょうか?
幸せになろうとして、一生懸命になればなるほど、そうならないのよ というような法則があるのではないかしら。
幸せになろうと思ったら、一瞬でなれます。「すでに幸せであることに気づけばよい」からです。または「幸せであることを忘れていたことに気づけばよい」からです。
ただし、「幸せであることを知らないふり」をする人はいます。そういう人を「うぶなふりをするぶりっこ かまととぶってる人 ぶりぶりぶりっこ かわいこぶりっこ」とか「知らないことにしておいたほうが得をするという損得感情のもとに、とぼけたり、しらばっくれたりする 老獪なたぬきオヤジ」と呼ばせていただくことといたしましょう。
実は、私も実は、たぬきおやじ のひとりなのです。たぬき はムジナともいいます。「同じ穴のムジナ」 みたいな人は時々みかけます。私と同類、仲間、友達なのです。だから喧嘩しないで仲良くしましょうね。
たとえば、次のような説明をさせて頂きます。
キリスト教(ユダヤ教、イスラム教)は唯一の神を信じる一神教であり、それに対して日本人は、八百万(やおよろず)の神を信じる多神教であると言われています。だから正反対?でありお互いに相手を受け入れられないかのような印象を受けます。
でももし、「宇宙の法則」が神様であるとすれば、「宇宙の法則」というたった一つ(唯一)の神様が、宇宙の中のいかなる場所に(あらゆる)場所にまんべんなく(八百万を超える数で)存在するという説明で、十分なんじゃないでしょうか。 どう思いますか?
私はいいかげんでちゃらんぽらんで間抜けであほです。声が小さく、アソコも小さく、気が小さく、まったく自信がありません。自分の言ってる(書いてる)ことにも自信がありません。
ここに書いてあることは、あまりうのみにしないほうがよいと思います。もしそうされるのであれば「自己せきにん」にてお願いいたします。
もしくは
「よい子はまねしないでね」
2018年3月26日月曜日
2018年3月25日日曜日
天才天界の才能を証明した「エイリアンインタビュー」「AREA51内部映像」日本語訳版!
この動画の宇宙人(実は未来の地球人)によれば、「死は存在しない。」とのこと。たぶん肉体は死ぬけれども魂は死なないということだろうと思います。
また、「私、君、彼はおなじひとつのもの 死によってわけられている」というようなことが出てくるが、これは「ワンネス」のことだと思います。「すべてはひとつでありつながっている」というようなkとだと思います。
目の前にいるあなたも私も、心の奥ずっと奥のほうではつながっている」ということだと思います。
相手の目をじっと見ると、つながっている感じがわかるのではないかと私は思っています。
目は心の窓 だからです。
また、「私、君、彼はおなじひとつのもの 死によってわけられている」というようなことが出てくるが、これは「ワンネス」のことだと思います。「すべてはひとつでありつながっている」というようなkとだと思います。
目の前にいるあなたも私も、心の奥ずっと奥のほうではつながっている」ということだと思います。
相手の目をじっと見ると、つながっている感じがわかるのではないかと私は思っています。
目は心の窓 だからです。
愛の法則(相手の攻撃を無力化する)
たとえば、上司から叱責された時に「愛のムチをありがとうございます」というふうに答えるなど
また別の上司から叱られた時に、「うふっ あの人にしかられちゃった。ちょっとうれしいかも」と言うことかしら。
また別の上司から叱られた時に、「うふっ あの人にしかられちゃった。ちょっとうれしいかも」と言うことかしら。
【衝撃】ポール・ソロモンの恐ろしい予言を検証 リーマンショックも予言。次の恐ろしい予言「日本の中に救世主がいる…」
救世主ってたぶん私のことだと思うんだけど、私みたいな「ろくでなし」が救世主だと知ったら、世界中の人が嘆き悲しむんじゃないかしら。
たぶん「自分たちは、こんなくだらない奴に助けてもらわなきゃならないのか。そこまで落ちぶれたのかよ」と思うと思うんだよね。プライドを思いっきり傷つけられたりして
ところで私みたいな最低男に助けられるということが、「世界を恐怖に巻き込む恐ろしい予言」なのだろうか?
小さいちん○んで、時々オナニーしているだけの、半分ひきこもりの中年(初老)の独身のつまらない男に、助けてもらったりしたら、そら悲しいのはわかるけどね。
「愛の法則」とか「すべてはひとつ」ということは知っているんだけど、人から聞いたことばかりで自分の発想というわけでもありません。
以前に仕事でじゃがいもの袋を箱に詰める作業をしている男の人を手伝ってあげたら、その人は頭を抱えて思いっきり悩んでいました。たぶん私に助けてもらったことが、彼にとってはショックだったようです。
それを見た時に、「私に助けられるってことが、そんなにプライドを傷つけられてつらいってことかよ」と思って自分もショックを受けてしまいました。
【中野信子】必見の正論!アメとムチじゃない法則!?「人を動かすアメと無視!!」聞けば納得!!
「愛の法則」を研究中の私といたしましては人を動かすのは「愛と無視」なのではないかと思っております。「アメと無視」に似ています。というかほとんど同じ意味だと思います。
2018年3月24日土曜日
【中野信子】ブラック企業から逃げたい人に絶対聞いてほしい
中野信子 先生によればブラック企業というのは、愛情ホルモンであるオキシトシンのネガティブな面(悪いところ)の現れであるということです。もしそうだとするとブラック企業には愛情ホルモンであるオキシトシンのポジティブな面(良いところ)も合わせ持っているということではないでしょうか?
つまりブラック企業の中には、愛情ホルモン(オキシトシン)により、愛情を受けて甘やかされたり思いっきりいい思いをしている人がいるということになります。
つまりブラック企業の中には、愛情ホルモン(オキシトシン)により、愛情を受けて甘やかされたり思いっきりいい思いをしている人がいるということになります。
2018年3月19日月曜日
神との対話 (1999年から2000年ごろに購入)
この本を購入してからもうすでに20年が経っていますが、今になってようやくこの本の一部分だけがようやく理解できたような気になっております。
この部分の一部だけを要約して説明させていただきますと
「あなた方は、すでに神である。それを知らない。(それを知らない人もいる。)」
この部分の一部だけを要約して説明させていただきますと
「あなた方は、すでに神である。それを知らない。(それを知らない人もいる。)」
2018年3月15日木曜日
愛の法則(明るくニコニコしている人が強い)
明るくて、ニコニコしていて、周囲の誰にでもやさしく屈託なく接しているように見える人(マイナスの感情「憎しみ、恨み、妬み」などを心の中に持たず、いつも愛にあふれる人)がいたとします。たとえば女性で愛嬌のある人というような人です。男性だと、いつもジョークやギャグを言って笑わせてくれるようなタイプの人がいたとします。この人をタイプAとします。
その反対で心にマイナスの感情をいだき暗い雰囲気の人をタイプBとします。マイナスの感情というのは、憎しみ、恨み、嫉妬、コンプレックス、劣等感、その他とか です。どちらかというと私はもともとはこのタイプかもしれません。
タイプBの人がタイプAの人に対して恨みを抱いていたとします。タイプBの人は、タイプAの人に攻撃をしかけて勝利を収めて、恨みを晴らしたいと思っているとします。でもなかなか、それは難しいのではないかと思うのです。
その理由としては、まず攻撃のきっかけ(攻撃の理由、大義名分、口実)がなかなかつかめないということがあるのではないかと思います。
たとえば、タイプAの人がタイプBの人に失礼なことをしたとします。(たとえばバカにするなど)。そうするとタイプBの人は、それをきっかけにしてタイプAの人に攻撃をしかけることができます。(このやろう俺様をバカにしやがったな。ふてえ野郎だ。何様のつもりだ。ふざけんじゃねえよ。)攻撃をしかけて勝利を収めれば、うさを晴らしてすっきりすることができます。
でも タイプAの人が、常に愛にあふれニコニコしているような人だと、攻撃する口実がなく、攻撃するきっかけがつかめません。
常に愛にあふれニコニコして周囲を幸せにしているような人に対して、理由もなくいきなり攻撃したら、実にひどい、愚劣な野郎に見えてしまい
2018年3月12日月曜日
ホワイトデーの裏ワザを思いつきました。
その1
ホワイトデーのチョコレート買いすぎて余ってしまったという口実で、それを好きな女性に渡してしまう というのは、もうすでによく知られている裏技かと思います。(その好きな女性は、バレンタインデーにはチョコレートをくれなかったというような恨みなどのマイナスの感情はできるだけ..MISENAIYOUNI )
好きな女性でなくても、普段からお世話になっている近所のおばさんや、近所の子供などに渡すという方法もあると思います。
なお、普段からお世話になっている男の先輩(ふだんその人を、兄貴と呼んで親しんでいるような人)にお礼や忠誠心を示すという目的で渡すという手もあると思います。
その2
最後に大きいチョコレートだけが残るので、自分で食べてしまいます。
その3
その4
その5
ホワイトデーの翌日などにスーパーマーケットに行くと売れ残ったチョコレートが安い値段(たとえば半額など)で販売(投げ売り)されていたりします。
それを複数個、購入します。
もし、そのチョコレートに「おつとめ品」「半額」などのシールが貼り付けられている場合には、そっとそれをはがしておきます。 そっとはがすのは、はがした跡が白くなって残ったりしないようにするためです。
相手に渡すときには、「ちょっと遅れてしまった。ごめんね。うふっ」などと言いながら渡します。ちょっと照れたように笑うという効果も添えてもよいかもしれません。
ホワイトデーのチョコレート買いすぎて余ってしまったという口実で、それを好きな女性に渡してしまう というのは、もうすでによく知られている裏技かと思います。(その好きな女性は、バレンタインデーにはチョコレートをくれなかったというような恨みなどのマイナスの感情はできるだけ..MISENAIYOUNI )
好きな女性でなくても、普段からお世話になっている近所のおばさんや、近所の子供などに渡すという方法もあると思います。
なお、普段からお世話になっている男の先輩(ふだんその人を、兄貴と呼んで親しんでいるような人)にお礼や忠誠心を示すという目的で渡すという手もあると思います。
その2
大きいチョコレート一つと小さいチョコレートを複数個(渡す相手の数だけ)用意します。
。
。
大きいほうを見ながらそれぞれの相手に対する気持ちを膨らませる。過去に相手にしてもらったとかお世話になった恩などを思い出しながら)
渡す時は、大きいチョコレートのことを思い出しながら、気持ちを膨らませて目をうるうるさせながら、小さいほうを渡します。
最後に大きいチョコレートだけが残るので、自分で食べてしまいます。
その3
プレゼントは、相手のためでなくて、自分のためであろうという妄想が湧いてきました。
渡す前に写真を撮ってSNSに投稿しておきましょう。(自分の思い出として)
あとから相手にその写真を見せて、恩着せがましく振る舞うといういやらしい必殺技もあると思います。
その4
そのチョコレートの写真をスマホなどで撮影します。その写真の画像をメールに添付して、別の女性(実際には会えないけれどメールやLINEで文通しているネット上の知り合い)に、送付するという技もありえると思います。
その5
ホワイトデーの翌日などにスーパーマーケットに行くと売れ残ったチョコレートが安い値段(たとえば半額など)で販売(投げ売り)されていたりします。
それを複数個、購入します。
もし、そのチョコレートに「おつとめ品」「半額」などのシールが貼り付けられている場合には、そっとそれをはがしておきます。 そっとはがすのは、はがした跡が白くなって残ったりしないようにするためです。
相手に渡すときには、「ちょっと遅れてしまった。ごめんね。うふっ」などと言いながら渡します。ちょっと照れたように笑うという効果も添えてもよいかもしれません。
2018年3月9日金曜日
中野信子★人の悪口を言ってはいけない理由 どうしても言いたいときの対処法とは? #Nobuko Nakano
"中野信子★人の悪口を言ってはいけない理由 どうしても言いたいときの対処法とは?
この動画の中で、中野信子氏は、他人の陰口を言ってしまうと、相手に対して罪悪感のようなものが生まれてしまう(芽生えてしまう)という可能性を指摘しておられます。
そういう状態だと、敏感な相手には気づかれてしまいます。例えば、相手に対して後ろめたい気持ちがあると、相手の目を見られなくなったりします。
また、相手が愛情あふれる屈託のないタイプの人だとすると余計に気づかれやすくなります。
なぜなら、そういうタイプの人は、自分が悪口を言われているのを知らない状態で、いつもと同じように明るく自分に接してくるはずです。そうすると、自分の中の後ろめたさがますます強調されてしまうようになるからです。相手に対して目を合わせられなくなったり、下を向いてしまったり、表情が固くなってしまいがちです。
明るい太陽に照らされると、自分の中の影(陰、カゲ)が、黒く、くっきり、はっきりと目立つようになってしまうのに似ているかもしれません。
ただし、相手が愛情あふれるタイプの人でも、あまり敏感でない人、他の人の表情をあまり見ていないような人だと、大丈夫かもしれません。気づかれずに済むかもしれません。
若い思春期の女性が、親に内緒で彼氏とエッチ(初体験)を済ませてしまったあとで、彼女は母親の顔を見られなくなった というような話を聞いたことのある方はいらっしゃるでしょう。
だいたい、母親というものは、自分の子供(娘とか息子)に対しては、いつも明るくて屈託のない態度で接するものと思われます。
これらから得られる教訓としては、「明るくて屈託のない態度で接してくる人の悪口をあまり言わないほうがいい」かもしれないということではないでしょうか。
ただし、相手が鈍感なタイプだと大丈夫なのかもしれません。
私は、どちらかと言うと、気が小さくて(声が小さくアソコも小さく)、性格は暗くて寝室(あ 間違えた陰湿)なタイプかもしれないと自分で思っています。
そういう自分は、わざと、他人様に対して、明るく屈託のない態度で接しているように見せかけることがあります。その理由はその相手が自分に対して敵意を持っていないかどうかをチェックする(確認する、見極める)ためです。相手に明るいサーチライトを当てて、相手の本性を照らしだそうという魂胆なのかもしれません。明るいふりをしつつ、暗い戦略を使うタイプなのかもしれません。
残念ながら私は鈍感です。
この動画の中で、中野信子氏は、他人の陰口を言ってしまうと、相手に対して罪悪感のようなものが生まれてしまう(芽生えてしまう)という可能性を指摘しておられます。
そういう状態だと、敏感な相手には気づかれてしまいます。例えば、相手に対して後ろめたい気持ちがあると、相手の目を見られなくなったりします。
また、相手が愛情あふれる屈託のないタイプの人だとすると余計に気づかれやすくなります。
なぜなら、そういうタイプの人は、自分が悪口を言われているのを知らない状態で、いつもと同じように明るく自分に接してくるはずです。そうすると、自分の中の後ろめたさがますます強調されてしまうようになるからです。相手に対して目を合わせられなくなったり、下を向いてしまったり、表情が固くなってしまいがちです。
明るい太陽に照らされると、自分の中の影(陰、カゲ)が、黒く、くっきり、はっきりと目立つようになってしまうのに似ているかもしれません。
ただし、相手が愛情あふれるタイプの人でも、あまり敏感でない人、他の人の表情をあまり見ていないような人だと、大丈夫かもしれません。気づかれずに済むかもしれません。
若い思春期の女性が、親に内緒で彼氏とエッチ(初体験)を済ませてしまったあとで、彼女は母親の顔を見られなくなった というような話を聞いたことのある方はいらっしゃるでしょう。
だいたい、母親というものは、自分の子供(娘とか息子)に対しては、いつも明るくて屈託のない態度で接するものと思われます。
これらから得られる教訓としては、「明るくて屈託のない態度で接してくる人の悪口をあまり言わないほうがいい」かもしれないということではないでしょうか。
ただし、相手が鈍感なタイプだと大丈夫なのかもしれません。
私は、どちらかと言うと、気が小さくて(声が小さくアソコも小さく)、性格は暗くて寝室(あ 間違えた陰湿)なタイプかもしれないと自分で思っています。
そういう自分は、わざと、他人様に対して、明るく屈託のない態度で接しているように見せかけることがあります。その理由はその相手が自分に対して敵意を持っていないかどうかをチェックする(確認する、見極める)ためです。相手に明るいサーチライトを当てて、相手の本性を照らしだそうという魂胆なのかもしれません。明るいふりをしつつ、暗い戦略を使うタイプなのかもしれません。
残念ながら私は鈍感です。
2018年3月6日火曜日
しいたげられる夫
以前に勤めていた会社で、ある先輩社員が次のようにぼやいていたのを覚えています。その先輩社員は、もちろん男性です。
「家庭内での地位について、一番えらいのは妻、次が子供、次がペット、一番下が自分」
このような話を聞いたのは、この先輩だけではない。テレビで芸能人が同じようなことを話していた。世の中はフラクタルであるとすると、似たような話をする男性は以外と相当数いるのではないだろうか。
その先輩社員は、妻と子供のために土地を買い、新築の住宅を建てたけれど、家のローンを払うのは、当然のごとくその先輩社員の給料から払われるわけです。
その先輩社員は、夜おそく(深夜または午前にいたるまで)まで会社にいて、ヘトヘトになって家に帰って、家に帰るわけですが、家ではほとんど寝るだけでしょう。
家では、家族から尊敬されるのならともかく、ペット未満として冷遇されていたようだし、少なくともローンの支払いが終わるまで、何十年間は、働き通しという生活を余儀なくされることが、(約束されています。)
その男性社員のストレスのはけ口のひとつが、私に向かって愚痴をこぼすことだったと思います。
そもそも、その男性社員が妻であるその女性と結婚するきっかけをつくったのは、実は自分だったという事情もあり、私は愚痴やボヤキを聞かなくてはならない倫理上の理由がありました。
私としては、愛のキューピットとして、ありがたがられるかと、思いきや、そうではなくて、愚痴やボヤキをいやおうなく聞かなくてはならないという立場でした。
他の人の愚痴を聞かされるというのは、精神的につらいものです。(文句、苦情、小言、説教、自慢話、能書き、うんちく)なども聞かされるのはつらいと思います。
一方で愚痴を言う側は、思いを吐き出すことができてスッキリして気持ちいいかもしれません。
愚痴を聞かせるほうは、相手がどういう気持ちになるかを無視しているとも言えます。とにかく自分のいやなことを吐き出したいだけです。相手を便所だと思っている、またはタンツボかなんかだと思っているとも言えます。
私は 心の中では次のように思っていました。
「あの女性がそんな女性だったとは知らなかった。そんな妻なら、うらぎったっていいでしょ。若い女性を見つけて浮気とか不倫でもすればいいのに」
でも、それを口に出して言いませんでした。あたりまえでしょ。そんなこと言うわけないでしょ。もし本当にその先輩社員が浮気をして妻にばれて家庭内が修羅場のようになったとします。その責任が私が発した言葉にあるというようなことにもなりかねません。そのような重い責任をしょいきれませんわ。
それに、もしその先輩社員が若い女性を愛人にしたりしたら、うらやましすぎます。その人は妻もいるし若い愛人もいるという状態になります。
結婚どころか、恋人どころか、女友達さえいない私からみたら、そんなの、うらやましすぎて耐え切れませんがな。
「家庭内での地位について、一番えらいのは妻、次が子供、次がペット、一番下が自分」
このような話を聞いたのは、この先輩だけではない。テレビで芸能人が同じようなことを話していた。世の中はフラクタルであるとすると、似たような話をする男性は以外と相当数いるのではないだろうか。
その先輩社員は、妻と子供のために土地を買い、新築の住宅を建てたけれど、家のローンを払うのは、当然のごとくその先輩社員の給料から払われるわけです。
その先輩社員は、夜おそく(深夜または午前にいたるまで)まで会社にいて、ヘトヘトになって家に帰って、家に帰るわけですが、家ではほとんど寝るだけでしょう。
家では、家族から尊敬されるのならともかく、ペット未満として冷遇されていたようだし、少なくともローンの支払いが終わるまで、何十年間は、働き通しという生活を余儀なくされることが、(約束されています。)
その男性社員のストレスのはけ口のひとつが、私に向かって愚痴をこぼすことだったと思います。
そもそも、その男性社員が妻であるその女性と結婚するきっかけをつくったのは、実は自分だったという事情もあり、私は愚痴やボヤキを聞かなくてはならない倫理上の理由がありました。
私としては、愛のキューピットとして、ありがたがられるかと、思いきや、そうではなくて、愚痴やボヤキをいやおうなく聞かなくてはならないという立場でした。
他の人の愚痴を聞かされるというのは、精神的につらいものです。(文句、苦情、小言、説教、自慢話、能書き、うんちく)なども聞かされるのはつらいと思います。
一方で愚痴を言う側は、思いを吐き出すことができてスッキリして気持ちいいかもしれません。
愚痴を聞かせるほうは、相手がどういう気持ちになるかを無視しているとも言えます。とにかく自分のいやなことを吐き出したいだけです。相手を便所だと思っている、またはタンツボかなんかだと思っているとも言えます。
私は 心の中では次のように思っていました。
「あの女性がそんな女性だったとは知らなかった。そんな妻なら、うらぎったっていいでしょ。若い女性を見つけて浮気とか不倫でもすればいいのに」
でも、それを口に出して言いませんでした。あたりまえでしょ。そんなこと言うわけないでしょ。もし本当にその先輩社員が浮気をして妻にばれて家庭内が修羅場のようになったとします。その責任が私が発した言葉にあるというようなことにもなりかねません。そのような重い責任をしょいきれませんわ。
それに、もしその先輩社員が若い女性を愛人にしたりしたら、うらやましすぎます。その人は妻もいるし若い愛人もいるという状態になります。
結婚どころか、恋人どころか、女友達さえいない私からみたら、そんなの、うらやましすぎて耐え切れませんがな。
2017年12月25日月曜日
いじめネットワーク
私は、以前にあるボランティア団体に所属していたことがあります。(約17年前ぐらいだったと思う)
その団体では、「癒し」をテーマにしていろいろ話し合いをしたこともあります。
その時に、私は「世の中にはいじめネットワークのようなものが存在するのではないか」というようなことを考えていました。
例えば、学校で子供のいじめが起きたとします。いじめた子供は、実はその前に母親に厳しく叱られていたのかもしれません。厳しく叱ったその母親はその前日に姑にいびられていたのかもしれません。いびった姑はその前日に近所の別の女性から嫌味を言われてストレスがたまっていたのかもしれません。嫌味を言ったその女性は、その前に夫から冷たくされていたのかもしれません。冷たくした夫は、その前に会社の上司から仕事上のミスについてネチネチと説教を受けていたのかもしれません。説教をした上司は、その前に取締役から自慢話を聞かされてうんざりしていたのかもしれません。。。。。(以下ずっと続く)
学校でいじめられた子供は、「強いものは弱いものをいじめていいんだ。」ということを学習して、家に帰ってから、家で飼っている猫(とかペット)に残酷な仕打ちをするかもしれません。
世の中は、いろんなところでつながっており、そのつながっているネットワークを経由して、いじめが伝わっていく(伝播していく)のではないだろうか という仮説を私は立てたわけです。
この仮説を「いじめネットワーク仮説」と仮に呼んだとします。
「いじめられた人は、その腹いせに別の人をいじめて、スカッとする」ということが世の中のいたるところで繰り返し行なわれているのではないかという仮説です。 いろんなところで繰り返し、同じようなことが起きているという点でフラクタル的と言えると思います。
いじめられた人が、組織のなかで最も弱い存在で、それより下に弱い人がいないとします。するとその最も弱い人は、誰かをいじめることができずに、ストレスを抱えたままの状態になります。その人がストレスに耐えられなくなると、うつ病になって退職したり、自殺したり、逆ギレして刃物を振り回して凶悪犯罪を起こしたりするのではないでしょうか。
「いじめをなくすにはどうしたらよいか?」ということが、議論されることがあります。私はその解として、「たとえ、誰かにいじめられた時でも、(そのストレスを晴らすために)他の人をいじめない」というような方法(アイデア)を考え出して、それを世の中に広めてはどうかということを考えていました。
そのアイデアのひとつが、「癒し」ではないかと思うのです。いじめられて心がぐちゃぐちゃになっている状態の時に、それを癒すことができれば、他の弱い人をいじめなくてもすみます。いじめを伝播させずにすみます。
「癒し」のテクニックを編み出して、それをネットワークを経由して、世の中に伝えれば、いじめネットワークのいたるところでストップがかかります。そうすると、いじめがなくなり、平和な社会が訪れるかもしれません。(これは、なんと「世の中のいじめを俺様の手で止めてやろう。そしてそれがうまく行けば世界的なヒーローになってみせるぜ」という私の誇大妄想のひとつかもしれませんです。)
癒しのテクニックには、実はいろんな手段があるのではないかと思います。私は、例えば「好きな音楽を聴く」というのがそのひとつの方法だと考えています。「おもしろい話を聞いて笑う」とか「おいしいコーヒーをリラックスして飲む」などもありえると思います。
もうひとつのアイデアは、宗教の価値観をおおいに参考にさせて頂くということではないかとも思うのです。キリスト教では「相手を許す。」という教えがあったように思います。仏教でも「慈悲の心」というのがありました。
「自分より弱い存在を許す」、とか「慈悲の心で弱いものにやさしく接する」という価値観がそれじゃないかと思うのです。
さらに言うと、「癒し」の究極のテクニック(究極の極意)は一言でいうと「愛」のような気もします。
「愛は地球を救う」は、もともと世の中でよく言われている、みなさんがよくご存知のフレーズでございました。私ごときが改めて、えらそうに皆様に対して言うべきことではございませんでした。申し訳ございませんでした。この場をお借りしてお詫びさせて頂きます。
とりあえず、私の当面の関心事は、「癒しにはどのようなテクニックがあるか」ということで、まずは自分自身でいろいろ考えているところでございます。「まずかいよりはじめよ」という中国のことわざをまず自分に適用させようと思っております。
その団体では、「癒し」をテーマにしていろいろ話し合いをしたこともあります。
その時に、私は「世の中にはいじめネットワークのようなものが存在するのではないか」というようなことを考えていました。
例えば、学校で子供のいじめが起きたとします。いじめた子供は、実はその前に母親に厳しく叱られていたのかもしれません。厳しく叱ったその母親はその前日に姑にいびられていたのかもしれません。いびった姑はその前日に近所の別の女性から嫌味を言われてストレスがたまっていたのかもしれません。嫌味を言ったその女性は、その前に夫から冷たくされていたのかもしれません。冷たくした夫は、その前に会社の上司から仕事上のミスについてネチネチと説教を受けていたのかもしれません。説教をした上司は、その前に取締役から自慢話を聞かされてうんざりしていたのかもしれません。。。。。(以下ずっと続く)
学校でいじめられた子供は、「強いものは弱いものをいじめていいんだ。」ということを学習して、家に帰ってから、家で飼っている猫(とかペット)に残酷な仕打ちをするかもしれません。
世の中は、いろんなところでつながっており、そのつながっているネットワークを経由して、いじめが伝わっていく(伝播していく)のではないだろうか という仮説を私は立てたわけです。
この仮説を「いじめネットワーク仮説」と仮に呼んだとします。
「いじめられた人は、その腹いせに別の人をいじめて、スカッとする」ということが世の中のいたるところで繰り返し行なわれているのではないかという仮説です。 いろんなところで繰り返し、同じようなことが起きているという点でフラクタル的と言えると思います。
いじめられた人が、組織のなかで最も弱い存在で、それより下に弱い人がいないとします。するとその最も弱い人は、誰かをいじめることができずに、ストレスを抱えたままの状態になります。その人がストレスに耐えられなくなると、うつ病になって退職したり、自殺したり、逆ギレして刃物を振り回して凶悪犯罪を起こしたりするのではないでしょうか。
「いじめをなくすにはどうしたらよいか?」ということが、議論されることがあります。私はその解として、「たとえ、誰かにいじめられた時でも、(そのストレスを晴らすために)他の人をいじめない」というような方法(アイデア)を考え出して、それを世の中に広めてはどうかということを考えていました。
そのアイデアのひとつが、「癒し」ではないかと思うのです。いじめられて心がぐちゃぐちゃになっている状態の時に、それを癒すことができれば、他の弱い人をいじめなくてもすみます。いじめを伝播させずにすみます。
「癒し」のテクニックを編み出して、それをネットワークを経由して、世の中に伝えれば、いじめネットワークのいたるところでストップがかかります。そうすると、いじめがなくなり、平和な社会が訪れるかもしれません。(これは、なんと「世の中のいじめを俺様の手で止めてやろう。そしてそれがうまく行けば世界的なヒーローになってみせるぜ」という私の誇大妄想のひとつかもしれませんです。)
癒しのテクニックには、実はいろんな手段があるのではないかと思います。私は、例えば「好きな音楽を聴く」というのがそのひとつの方法だと考えています。「おもしろい話を聞いて笑う」とか「おいしいコーヒーをリラックスして飲む」などもありえると思います。
もうひとつのアイデアは、宗教の価値観をおおいに参考にさせて頂くということではないかとも思うのです。キリスト教では「相手を許す。」という教えがあったように思います。仏教でも「慈悲の心」というのがありました。
「自分より弱い存在を許す」、とか「慈悲の心で弱いものにやさしく接する」という価値観がそれじゃないかと思うのです。
さらに言うと、「癒し」の究極のテクニック(究極の極意)は一言でいうと「愛」のような気もします。
「愛は地球を救う」は、もともと世の中でよく言われている、みなさんがよくご存知のフレーズでございました。私ごときが改めて、えらそうに皆様に対して言うべきことではございませんでした。申し訳ございませんでした。この場をお借りしてお詫びさせて頂きます。
とりあえず、私の当面の関心事は、「癒しにはどのようなテクニックがあるか」ということで、まずは自分自身でいろいろ考えているところでございます。「まずかいよりはじめよ」という中国のことわざをまず自分に適用させようと思っております。
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