私は、以前にあるボランティア団体に所属していたことがあります。(約17年前ぐらいだったと思う)
その団体では、「癒し」をテーマにしていろいろ話し合いをしたこともあります。
その時に、私は「世の中にはいじめネットワークのようなものが存在するのではないか」というようなことを考えていました。
例えば、学校で子供のいじめが起きたとします。いじめた子供は、実はその前に母親に厳しく叱られていたのかもしれません。厳しく叱ったその母親はその前日に姑にいびられていたのかもしれません。いびった姑はその前日に近所の別の女性から嫌味を言われてストレスがたまっていたのかもしれません。嫌味を言ったその女性は、その前に夫から冷たくされていたのかもしれません。冷たくした夫は、その前に会社の上司から仕事上のミスについてネチネチと説教を受けていたのかもしれません。説教をした上司は、その前に取締役から自慢話を聞かされてうんざりしていたのかもしれません。。。。。(以下ずっと続く)
学校でいじめられた子供は、「強いものは弱いものをいじめていいんだ。」ということを学習して、家に帰ってから、家で飼っている猫(とかペット)に残酷な仕打ちをするかもしれません。
世の中は、いろんなところでつながっており、そのつながっているネットワークを経由して、いじめが伝わっていく(伝播していく)のではないだろうか という仮説を私は立てたわけです。
この仮説を「いじめネットワーク仮説」と仮に呼んだとします。
「いじめられた人は、その腹いせに別の人をいじめて、スカッとする」ということが世の中のいたるところで繰り返し行なわれているのではないかという仮説です。 いろんなところで繰り返し、同じようなことが起きているという点でフラクタル的と言えると思います。
いじめられた人が、組織のなかで最も弱い存在で、それより下に弱い人がいないとします。するとその最も弱い人は、誰かをいじめることができずに、ストレスを抱えたままの状態になります。その人がストレスに耐えられなくなると、うつ病になって退職したり、自殺したり、逆ギレして刃物を振り回して凶悪犯罪を起こしたりするのではないでしょうか。
「いじめをなくすにはどうしたらよいか?」ということが、議論されることがあります。私はその解として、「たとえ、誰かにいじめられた時でも、(そのストレスを晴らすために)他の人をいじめない」というような方法(アイデア)を考え出して、それを世の中に広めてはどうかということを考えていました。
そのアイデアのひとつが、「癒し」ではないかと思うのです。いじめられて心がぐちゃぐちゃになっている状態の時に、それを癒すことができれば、他の弱い人をいじめなくてもすみます。いじめを伝播させずにすみます。
「癒し」のテクニックを編み出して、それをネットワークを経由して、世の中に伝えれば、いじめネットワークのいたるところでストップがかかります。そうすると、いじめがなくなり、平和な社会が訪れるかもしれません。(これは、なんと「世の中のいじめを俺様の手で止めてやろう。そしてそれがうまく行けば世界的なヒーローになってみせるぜ」という私の誇大妄想のひとつかもしれませんです。)
癒しのテクニックには、実はいろんな手段があるのではないかと思います。私は、例えば「好きな音楽を聴く」というのがそのひとつの方法だと考えています。「おもしろい話を聞いて笑う」とか「おいしいコーヒーをリラックスして飲む」などもありえると思います。
もうひとつのアイデアは、宗教の価値観をおおいに参考にさせて頂くということではないかとも思うのです。キリスト教では「相手を許す。」という教えがあったように思います。仏教でも「慈悲の心」というのがありました。
「自分より弱い存在を許す」、とか「慈悲の心で弱いものにやさしく接する」という価値観がそれじゃないかと思うのです。
さらに言うと、「癒し」の究極のテクニック(究極の極意)は一言でいうと「愛」のような気もします。
「愛は地球を救う」は、もともと世の中でよく言われている、みなさんがよくご存知のフレーズでございました。私ごときが改めて、えらそうに皆様に対して言うべきことではございませんでした。申し訳ございませんでした。この場をお借りしてお詫びさせて頂きます。
とりあえず、私の当面の関心事は、「癒しにはどのようなテクニックがあるか」ということで、まずは自分自身でいろいろ考えているところでございます。「まずかいよりはじめよ」という中国のことわざをまず自分に適用させようと思っております。
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