愛の法則について
好きの反対は、シーマンによれば無関心だそうですが、普通は「きらい」でしょう。
きらい というのは 「きるあい」に似ています。もしかすると、つまり「切る愛」「愛を切ることが きらい」なのではないでしょうか?
日本語と英語が似ていると主張する言語学者がいるそうです。
たとえば日本語で「ぼうや」は少年ですが、英語の boy に似ています。
切る は 「侍が人を切る」といえばつまり殺すことです。
ところがキルは英語で kill やはり「殺す」という意味になります。
「愛」の反対は「憎しみ」だとします。デカルトとかいう哲学者によれば愛と憎しみは同じひとつのものだそうです。愛と憎しみは同じもので、別の角度から見たものにすぎないというのです
つまりこういうことです。憎しみというものは、存在せず、実は「マイナス愛」と考えればつじつまがあいます。憎しみは存在せず、「マイナス愛」とか「愛が足りない状態」というべきなのです。
脳科学者の中野信子さんは、愛情ホルモンとよばれるオキシトシンについて言及しています。オキシトシンは、母親が子供をかわいがる時にほうしゅつされるものだそうです。ただし愛する子供に危害を与えるような存在に対しては、攻撃的になるのもオキシトシンの作用だそうです。