2018年4月25日水曜日
いじめをするような奴は死ねばいい
いじめを率先的に主導的にする奴は死ね
いじめに加担して、「率先していじめてるやつ」に褒美をもらおうと思ってる腰巾着も死ね
いじめは自分に関係ないと思って、そばにいながら見てみぬふりしてる「たぬきおやじ」や「ぶりっこ」や「ことなかれ主義」」関係ないふりするやつ」も死ね いじめられてる奴が自殺したり退職したら、次はお前の番かもしれないと、ちょっとはわくわくしながら期待しろや
この文章を 読んで、「ふん ちょっとはましなこというじゃねえかよ、褒めてやろうか」とか評価してくださったあなたも死んでください。
他人様に死ね死ね言ってる俺こそまず死ぬべきかも
どうせ死ぬなら、いいたいこと言ってから死んだほうが得だという損得勘定しているだけの俺も死んだほうがよいでしょ
だから要するに全員死ね (でも死んでもまた生まれ変わるらしいよ)
そもそも神様は、全員死ぬように作ってくださっている。 でもまた死んだあとで生き返って繰り返すようにも作ってくださっている。輪廻転生とか前世とか魂は存在するよ。
ただし、お釈迦様みたいに、解脱して(下脱して)、悟りを開いて、スプリチュアル(魂)として、十分に幸せになってしまったお方は必ずしも生まれ変わってくる必要はないだろう。 なぜなら、魂のレベルで十分に幸せだから、肉体や精神の幸せは全然なくても大丈夫。ってことは魂として浮遊しているだけで幸せってことでしょ。
お釈迦さまは、悟りを開いたあとは、生まれ変わらずに、魂のままでずっと、宇宙空間に浮遊していらっしゃるんだと思う。そういう状態の霊のみなさんを神様というんだよ、きっとね
お釈迦さま(ブッダまたはゴーダマ知っだるだ)は悟りを開いた時に、後光がさして、額のあたりからパッと明るい光線のようなものが発射されたんだってさ。
つまり、肉欲(セックスとか肉食べたい)とか精神的満足(褒められたい、尊敬されたい、謝罪したくない、バカにされたくない)とかは、どうでもよくなって、魂として存在するだけで十分に幸せになったんだよ。脳の中身が、「愛」で満たされて、マイナスの感情がすべて消えてなくなり
疲れて
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