2017年2月9日木曜日

いじめをしないという価値観

弱いものいじめをしないほうがよいという価値観は、誰でも持っていると思いたいものですが、本当はどうなのでしょう。

また、なぜ弱いものいじめをしないほうがよいのか、理屈として説明できるものでしょうか。

いじめをしない方がよい。弱いものに対してやさしく接しよう。というようなことは、親が子供に教えているのでしょうか。

宗教とか道徳では、それに近いような教えがされているかもしれません。

でも、日本人はあまり宗教を持ってるという感じではありません。宗教というと地下鉄サリン事件を起こした教団が想像され、あまりよくないイメージを持っている人もいると思います。

また、道徳は学校で教える教科の一つですが、受験には道徳の科目はありません。受験競争に勝ち抜いてきた人たちが、世の中に出て、影響力を持つ立場につくことが多いと思われますが、そのような人たちに道徳的が価値観を身につけていることを期待できるものでしょうか。

日本人はクリスマスは祝うけれどもキリスト教の信者ではないという人もたくさんいます。 キリスト教では、「許す」ということがよく言われているようですが、弱い人の欠点、失敗、至らない点を「許す」という価値観を持っている人はどれほどいるのでしょう。弱い立場の人の失敗を許さないで、責め立てる行為は、パワハラ、いじめと呼ばれる行為のひとつだと思います。

弱い人の欠点を許さずに徹底的に責め立てれば、弱い人が、それによって鍛えられて、弱点を克服できるようになり、結果として成長する助けとなることもあるかもしれません。また、責め立てた側がすっきりして快感を得られるとか、罰として何かを強要できるとか、責め立てるのを止めてやる代わりに何かを提供させるとか、自分のほうが強くて正しいことを認めさせ自分のいうことをきかせるとか、実はメリットがいくつかあるような気がします。

相手は弱いので、相手が言い返してくるとか、仕返しをしてきて、逆に自分の側が傷つけられるということはあまりありません。「弱い人を許さない」というのは、メリットはあるけれど、デメリットがあまりない行為に見える人もいると思います。そういう人は、積極的にいじめやパワハラを行うでしょう。その人にとっては、いじめはローリスク、ハイリターンの投資みたいなものだからです。

仏教では、「慈悲の心」 というのが、弱いものいじめをしないという価値観に近いと思いますが、例えばお釈迦さまや親鸞聖人の教えを守っているというような人は自分のまわりを見てもそんなにいるのかなという気がします。

 また、日本は資本主義です。資本主義では「お金」が大切にされます。例えば、会社では、会社の利益にどれだけ貢献できているかとか、費用対効果などが重要視されています。給料に見合うだけの成果を上げていないと判断された人は、厳しく叱責されたり、閑職に追いやられたり、リストラされたり、つらい思いをせざるを得ません。事実、自分自身がそういう思いをしてきました。(今までもそして今も。)そのような中にあって「弱い人にやさしいかどうか」なんて、どうでもよい価値観のひとつに見えます。


現在の日本人の学校や社会で、いじめやパワハラが多いのは、実はむしろ当たり前のような気もするのです。

そのような中で、いじめをしないことのメリットを、これから思いつくだけ書き出してみようと思います。


弱いものいじめをしないことのメリットの一番は、いじめをしている者もいつか弱い立場に転落するかもしれないということです。(病気、事故、高齢化など)
例えば周りの弱い人をいじめをしている人が、いったん弱い立場に転落すると、「ざまあみろ」と思われて、助けてもらえないでしょう。また、今度は逆に自分がいじめられる立場となります。しかえしを受ける可能性もあります。






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